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2011年5月

2011年5月29日 (日)

釜山の街角で①

釜山を拠点にして韓国内のあちこちに出向いているが、その釜山の街角を写真で記してみよう。市内中心部から。

      博多から高速船が到着する釜山港(釜山タワーから)

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         釜山タワーがある竜頭山公園  

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          タワー下の美人案内アガシ       

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         釜山の中心繁華街・南浦洞

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          ロッテデパートの噴水イルミ

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     日本人観光客ら10数人が死傷した国際市場の射撃場

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        チャガルチ市場       Img_0080_convert_20110524174643

2011年5月23日 (月)

釜山でグルメ??

グルメとは無縁の旅を続けているが、2011年5月の訪韓時に釜山で食べた食事を記録して見た。

Mg_0016_convert_20110523140051_2 最初に口にしたのがロッテデパート(南浦洞)地下の食事コーナーにあった「焼きうどん」。腹が減ってりゃ何でもうまい。(焼酎はなし)

国際市場では「すいとん」を食べてみた。なぜか懐かしい響きのすいとん。Img_0075_convert_20110523140427 朕が昔に食べたすいとんは、確か小麦粉を丸めた団子状だった気がするが、ここは平たくしたものだった。海苔巻きと一緒に。店は狭いが人気店とかで昼食時には満員になった。(焼酎はなし)

ここからは 夜の部。

Img_0084_convert_20110523135217 釜山といえば魚。で、魚のコースを注文。色んな魚の刺身が山盛りになって出てきた。鍋、焼き物、和え物などなどが次々と。とても食べ切れない量が並んだ。お陰で焼酎を2本も飲み干した。

Img_0068_convert_20110523135601 これは朕が好きなカニ料理。中央の黒い皿にあるのが、ワタリガニの醤油漬け。酒には最高です。ここではマッカリにしました。ビビンバで仕上げました。

1img_0089_convert_20110523151226 太宗台のふもとの海岸にカイ料理店のテント村があった。目の前の海には海女さんが潜って貝を取っていた。七輪の上に色んな貝が乗せられ、香ばしい臭いが食欲と焼酎を誘う。

料理屋の住所や値段は、朕は気にしないので、問い合わせがあっても返答ができません。あしからず。

2011年5月21日 (土)

巨済島への旅

_convert_20110423213114  釜山に来たついでに巨済島まで足を延ばしてみた(20113月)。これまで釜山からは陸路で3時間半は掛っていたが、昨年末に巨加大橋が完成し、2時間弱で行けると聞いて、いつものタクシーで走った。

 これといって見たいものはなかったが、ドライブだ。まずは朝鮮戦争時の捕虜収容所へ。一時は北朝鮮兵の捕虜10万人が収容されていた場所で、今は遺跡公園になっている。シンボルタワーが出迎え、_convert_20110521115423 公園内のあちこちに捕虜の生活などが人形などで再現されていた。この収容所では北へ帰りたい捕虜と帰りたくない捕虜同士の動乱「巨済島暴動事件」が起こったという。

 Convert_20110521115850 次はガイド本にあった「民俗資料館」へ。探しても探しても見つからず島内を転々。やっと見つけたのが廃校になった小学校を、元校長が造った資料館。中には農具や生活用具などがびっしり。亡き校長に代わって奥さんが案内してくれた。「主人が死んで整理が出来ていない」と言いながらも、しっかり観覧料は受け取った。元校庭には世宗と

_convert_20110423212427 李舜臣の像があった。学校時代の名残と言う。

 

 Convert_20110423215026_2 次は金永三・元大統領の生家へ。門構えは時代劇に出てきそうな立派な両班のものだった。資料館も隣に併設されており、

Photo 元大統領が続けてきた活動が紹介されている。朕もベンチに腰を掛ける元大統領とツーショットに。駐車場には貸切バスなども止まり観光客で大にぎわいだ。

 目的のない旅だったが、行ってみてよかった。

2011年5月20日 (金)

安東民俗村

Img_0058_convert_20110519214956 河回村を後にして、向かったのは安東民俗村。安東ダムの建設で水没する地域の民俗資料を保存するために造られた比較的新しい民俗村。ここにはドラマ「太祖王建(ワンゴン)」の撮影がされた場所。

なぜ、ここでかというと、王建が高麗を建国する際に、安東の豪族たちが王建を支持して助けたという歴史的背景があったから、らしい。

Ren0002_convert_20110519212840_2  高麗時代の役所や民家などが再現されている。近くには安東博物館などもあり、ダムと合わせて風光明媚な公園にしている。

Img_0052_convert_20110519211602 ゆっくり回りたかったが、なにしろ釜山まで約3時間を掛けて帰らねばならず、駆け足旅を終えることにした。

Img_0050_convert_20110519213519 夜は釜山の松島で、カニの醤油漬けで一杯。

2011年5月19日 (木)

宮殿の補修

安東河回村の旅はまだ続けますが

朕の宮殿の芝生広場の水はけをよくする工事をしてますので

しばらくお待ちください。

 工事はチングの「まさ★」がユンボを駆使してやってます。

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2011年5月16日 (月)

安東河回村②

Img_0028_convert_20110515233036  安東河回村は「柳氏」だけの同姓村。その中心が柳宗家で最大の屋敷を構える柳成龍の家。成龍は14代王・宣祖時代の大儒学者であり、領議政(首相)を務めた政治家でもあった。「文禄の役」で大活躍した李舜臣とは同郷で幼期から面識があり、不遇だった李舜臣を抜擢している。忠孝堂と呼ばれる邸宅は、清廉で清貧に甘んじていた成龍を偲び、門下生や住民らが建築したという。

Img_0029_convert_20110515152301 いくつもの棟が連なり一部を資料館として公開している。

 

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村内を歩くうち、俳優の柳時元(リュ・シウォン)の実家も見つけた。彼も柳一族の末裔とか。門にはシウォンの表札が掛っていた。成龍の13代孫にあたるらしい。

 

村から車で約10分の所に、成龍が移築した学問所「屏山書院」がある。チャン・ヒョク演じるドラマ「推奴(チュノ)」が撮影された場所。

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Img_0048_convert_20110516154859_3 庭先に見慣れぬ円形の石積みがあり、覗いてみると 

2img_0047_convert_20110516155259_2 これだった。

 

村の入り口には土産物店、食堂などがあり、ここで名物の鳥料理「安東チムッタ」と「サバの塩漬け」を食べたが、もちろん安東焼酎を飲むのも忘れなかった。

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2011年5月15日 (日)

安東河回村①

Img_0038_convert_20110515154816 韓国では今、「民俗村」がブームだ。昔からあった「村」をそのままの姿で残したものや、中には観光用やロケ地として造った「村」もある。どこも観光客であふれている。韓流ドラマを見ているうちに「本物の村を見てみたい」と思い続けていた。そして選んだ場所が「安東河回村(アンドンハフェマウル)」。600余年も同じ姿で残り続けた伝統集落で、貴族階級の両班の建物が連なり、今もその子孫たちがその場で生活をしている地域で、2010年に世界遺産に登録されている。

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建物群だけでなく、周辺の景観も昔と変わらない風情を色濃く残し、多くの映画やテレビのロケ地にもなっている。ソウルからも釜山からも片道約3時間が掛る慶尚北道の安東市にあるが、今回は釜山から日帰り強行軍で臨んだ。

写真はドラマ「ファンジニ」や「金首露」などで撮影された絶壁の岩場・芙蓉台。ファンジニの師匠ベンムヘンスが身を投げたシーンは印象的だった。下を流れる洛東川の川べりでは、ファンジニが踊りの稽古をしていた。

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2011年5月 9日 (月)

朝鮮王陵めぐり ⑥成宗中宗

Seisouimg_0064_convert_201105061513 ソウル市内のビルが臨める都会の中にあるのが、9代王・成宗の「宣陵」と、11代王・中宗の「靖陵」。成宗は世祖時代に乱れた王朝を建て直す制度などを創り上げるが、ドラマでは「「王と妃」「王と私」「チャングムの誓い」などで登場。

Convert_20110505161144 中宗も燕山君の治世で荒れた政治の立て直しに尽力した。中宗も「チャングムの誓い」や「女人天下」「ファンジニ」などにも出てきた。2人の王とも結構すけべ親父で、成宗は13人、中宗も12人の王妃・側室を抱えていたという。

Teiryouimg_0060_convert_20110506155  この旅の最後は、予定には無かった「貞陵」。朝鮮王朝の始祖・太祖の2番目の妻・神徳王后の陵だ。最初の妻が太祖が王座に就く前に死去したため、神徳が王朝の最初の王妃になった。権力意識が強く、自分の子・定宗を王座に就けたことから、先妻の子バンウォンと激しく対立した女傑。

(終わり)

今回の旅は驚くことが多かった。中でも歩け歩けで2日間で30000歩近くも。還暦過ぎの老体にはかなりハードな旅だった。すべての王陵は一括して世界遺産になっている。どこの陵も松林にたたずみ整備が行きとどいた公園に。どこも入場1,000Wで、日本語の案内書が用意されている。

運転手兼ガイドさんは日本語は分かるが朝鮮王朝について、ドラマについては殆んど知識がなく、朕がドラマで知った歴史を教えてあげた。

まだまだ行きたかった陵もある。特に「王と妃」の悲劇の6代王・端宗だ。彼の陵はソウルから遠く離れた江原道寧越にある。流刑地だ。王位を奪われ上王位も取られた幼い王に、慰めの言葉を掛けたかった。

2011年5月 8日 (日)

朝鮮王陵めぐり ⑤太宗

_convert_20110504142326 2日目の王陵めぐりはソウル市内にした。3代王・太宗バンウォンの「献陵」だ。始祖・太祖の五男で朝鮮王朝建国に功績を上げた。が、継母と対立。継母の子・定宗が2代目となったことから、太祖とも対立。王子同士で後継を争う「王子の乱」を起こし、遂に王座を奪い取った武闘派の王だった。ドラマ「龍の涙」で詳しく学んだ。色んな改革を断行し王朝の基盤を確立した王。陵もそれに相応しい豪勢な造り。武官、文官の石像が二対ずつ配置されている。横には太宗を支えた元敬王后が眠る。王后は世宗など4人の王子を産んだ。傍まで行けたが正面には回れず写真が撮りにくい。同じ地域に23代王・純祖の陵もあった。

2011年5月 7日 (土)

朝鮮王陵めぐり ④東九陵

Convert_20110504143156_2  世宗の「英陵」から、ソウルを抜けて、「東九陵」へ、長いドライブだ。この陵は文字通り王や王后など9陵と17位がまとまった最大の王陵群。京畿道九里市という所にあった。9つも陵があるから広さもイヤになるほどの規模で、地図を見て入場する前からちょっと尻込みする。

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 陵には初代王・太祖(イ・ソンゲ)の「健元陵」、5代王・文宗の「顕陵」、14代王・宣祖の「穆陵」、18代王・顕宗の「崇陵」、21代王・英祖の「元陵」、24代王・憲宗の「景陵」などがある。最初に目指したのはやはりここ。高麗を滅ぼし朝鮮王朝を打ち立てたイ・ソンゲの「健元陵」。陵の名が2文字はここだけと聞いた。東九陵の一番奥まった場所にあった。他の王陵は芝生が敷き詰められているが、この「健元陵」は草ぼうぼう。説明書によれば「ソンゲの古里からの土とススキで築き、ススキの保存が後世にまで続いている」とあった。決して管理が悪いのではないらしい。

1img_0058_convert_20110506210302  ドラマで見覚え、聞き覚えの王だけを記そう。墓はどれも形や石像などがほとんど同じだから。次に行ったのが文宗の陵。世宗の子だが病弱で在位は2年。幼い息子・端宗が後を継いだものの、文宗の弟・世祖に王座を奪われる(ドラマ「王と妃」)。英祖はイ・サンの祖父。息子で世子・荘祖を謀反の疑いで米櫃に閉じ込め、殺した(ドラマ「イ・サン」)。イ・サンに跡を継がせたが、親思いのイ・サンは、父と祖父を近くに置くのをためらい、2人の墓をはるか遠くに引き離したのだろう、と推測した。

2011年5月 6日 (金)

朝鮮王陵めぐり ③大王世宗

 3img_0026_convert_20110506131049_2 次の陵は偉大なる4代王・大王世宗の「英陵」。ここは駐車場から比較的近く坂道の傾斜も緩かった。ハングルの創設や科学的な天文学を取り入れるなどして、民を思いやる偉大な王。10000Wの肖像でも愛されている。陵の門も観光客の入り口も他の陵よりもかなり立派だ。

Convert_20110504150621 墓そのものは質素でも資料館や天文義などの屋外展示などが整った素晴らしい陵になっていた。運転手さんは「他の陵には行かないけど、ここは小中学生の旅行の場になっていて、ソウル近郊のほとんどの児童がやって来る」と言う。さもありなん。昭憲王后と祀られている。

 

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Convert_20110504145155 敷地内には17代王・孝宗の「寧陵」がある。敷地内と言っても歩いて15分は掛る。仁宣王后の墓と合わせて立派な陵。世宗の陵よりもむしろ立派に見えた。

2011年5月 5日 (木)

朝鮮王陵めぐり ②

 Img_0015_7 午前8時半、迎えに来たチャーター車でホテルを出発。まず最初に向かうのが22代王・イ・サン(正祖)の王陵だ。一路、高速道で水原方向へ。運転手さん兼ガイドさんは片言の日本語で「墓だけを回る観光客は初めて」とあきれ顔。苦笑いするしかない。「モノ好きにもほどがある」と自分でも思っているから。

 イ・サンの陵は、サンが築いた「水原華城」のある華城市にある。都から相当離れたこの地には父親の荘祖が眠っており、「華城で父親と暮らす」思いを持っていた父親思いのサンが建立。サンも近くに葬られた。荘祖の王陵名は「隆陵」。サンの王陵名は「健陵」。

 長いドライブの後、ようやく陵の入り口に到着。

Convert_20110504145825_2 いよいよサンに会えると胸躍らせた

が、これが誤りの3つ目だった。入場料を1000ウォンを払い、パンフを貰って陵内地図を見てギョギョ。陵までが遠いのだ。「車を降りれば陵はすぐそこ」ではなかった。歩くしかないのだ。松林の中を冷たい空っ風を吹き付けられながら歩くこと約15分。サンの陵が見えた。人影といえば散歩に来た地元の婦人づれと1組の観光客(若い日本人女性2人)だけ。

 サンの陵は小高い丘になっている(朝鮮王陵はみな同じ)。丘の麓に柵が張られ、約30M先の墓に近づけない。「善徳女王もユシンの陵にも、すぐ前まで行けたのに」と、ぶつぶつ言いながら麓にある祭祀を行う丁字閣の横から写真を撮った。

 Convert_20110504145524_2 参拝を済ませ、次は荘祖の「隆陵」へ。普通、身内の墓はすぐ近くにあるものだが、同じ敷地とはいえ、これがまた遠かった。小高い山を越えて20分。「英祖(21代王)に米櫃に閉じ込められ苦しかったでしょう」と慰めて後にした。が、駐車場までまたも歩いて15分。最初の訪問地で早くも足はガタガタだ。

朝鮮王陵めぐり ①

  

20113月)

韓ドラ時代劇では、ほとんどに王様・殿下が登場し主役にもなる。他国との戦争、激しい権力争いを繰り広げる。そして可愛い妃や側室に囲まれてもいる。女たちの争いも絶えないが・・・。

そんな折り、慶州で善徳女王と金ユシン将軍、金海の金首露の墓に行ったことから、朝鮮王の墓・王陵に興味を厚くした。それでは、と「朝鮮王陵めぐり」の旅が始まった。

_convert_20110505094823            (バンウォンの陵) 

朝鮮王朝の都はソウルであるから、王陵はソウルにある。と思ったのがまず最初の誤りだった。訪韓の前に下調べをすると、ソウル市内にあるのは少なく、ソウルの郊外が多く、それも南北に離れている。旅程計画は1日半、どれだけ回られるのか見当が付かなかったから、訪ねる王陵を絞り込んだ。ドラマで見た殿下たちを中心に選んだ。

 初代朝鮮王「龍の涙」の太祖(イ・ソンゲ)、と3代・太宗(バンウオン)、4代「大王世宗」の世宗、7代「王と妃」の世祖、22代「イ・サン」の正祖は欠かせない。そこで、日本語専用車をチャーターする予定だったから、「ここを回りたい」と数社にメールする。一番、丁寧にコース説明を返信してきた会社に依頼した。

 ソウルの3月は寒い、本当に寒い。こんな時期に観光するのは本当にバカ。2つ目の過ちだ。

2011年5月 4日 (水)

初KTXで 民俗村

_convert_20110427152428 ソウル2日目は朝から雨。目的のない旅だから、ホテルロビーでのんびりしている中で「韓国民俗村」の日本語パンフを見つけた。「行ってみるか」。ホテルが呼んでくれたタクシーで、水原へ向かった。運転手さんは日本語がまったく分からず、約1時間半、無言のままだった。

民俗村には雨にもかかわらず、多くの小学生が何台ものバスを連ねて来ていた。入り口で「チョヌン、イルボン」と言ったら、日本語説明書をくれた。

_convert_20110427153547 園内には農家や両班の家、役所、牢獄などが並び、昔の風景が再現されている。テレビドラマや映画のロケで使われており、映像で見たことのある場所もあった。「王と妃」の漢字だけが読めたので、多分、ロケがあったのだろう。ドラマでよくあるシーンの縁台だけの食堂?でうどんをすすった。メニューが読めないから、隣の客が食べていたのを指さして注文した。天気が良ければ色んなイベントがあるらしいが、残念。

Img_0033_convert_20110421224022 水原まで来て華城内を見らない馬鹿がいた。時間がもう無い。タクシーにホテルのカードを見せて乗車。地図を見せて、城の周りを走ってもらい数か所だけ見て華城の雰囲気を味わった。

Img_0026_convert_20110427154236 それにしてもどこに行っても渋滞ばかり。特にソウル市内はうんざり。

2011年5月 3日 (火)

初KTXで

           (20105月)

 Img_0048convert_20110503112204 今回は大きな目標もなく、博多から高速船に飛び乗った。釜山港で「どうしょうか」と考えた挙句に出した結論は「KTXでソウルに行こう」。釜山駅では、KTXの乗り方サイトにあった切符の買い方から、コピーした申込用紙を出して、切符をゲット。途中下車なしの始発~終点だから不安なし、振動の少ない車内でビール2本。快適な旅だ。無事にソウル駅に着いた。

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駅舎はビルになっており昔の面影はない(旧駅は保存されている)。30数年前、旧駅から地図を頼りにCALホテルまで歩いた記憶が蘇った。この時は、福岡から空路で釜山に。釜山からセマウル号でソウルに入った。旧駅は風格があった。駅前も今はビルばかり。道路は車で溢れ、何か味気ない風景に。

Mg_0016_convert_20110503110842 ホテルは予約しておらず、明洞周辺をさまよった。数年前に泊まったことがあるホテルを見つけた。日本語が分かるフロントマンに「1部屋しかない」と言われ、案内されたのが窓のない部屋。「こんな部屋は泊まれない」と断ったら、料金を少し上乗せしたらスイートに替えてくれた。やれやれ、しゃべれない、読み書きできない不自由な旅が今回も。ホテル周辺は深夜までネオンで明々。30数年前は夜間外出禁止令だった。

2011年5月 1日 (日)

殿下の韓服

ごくわずかな読者から「殿下の姿」の要望がありましたので、晒してみます。顔がばれると刺客が出てきそうなので、モザイクを掛けてみました。

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息子らともソウルに ②

Dc112833 DMZからは北が良く見える。高い塔に北の国旗がたなびく。塔は年々、高くなるそうな。なんでだろう。北からの大音量の音楽も聞こえる。日本では感じない「国境」を肌身に受け止めた。DMZに行くには服装チェックが入る。特に女性に。この日のツアーにも若い日本人女性(韓国人は入れないとか)の中に、ショートパンツの人がおり、軍のズボンに履きかえされた。連合軍兵士や北朝鮮兵を刺激させないためとの説明があった。

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ソウルに帰り、戦争博物館や南大門などを見物(火災で崩壊したが、今は再建工事中)。夜は親子でカラオケでも楽しもうとホテルに紹介してもらった。が、連れて行かれたのは怪しいカラオケ店。なんと若い女性が側にぴったりくっついて媚を売る。そうだ、ここが韓国名物の「売春カラオケ店」。早々の体で飛び出したのは言うまでもない。「なんて店を紹介したのか」と怒ったものの、韓国で「カラオケ店」と言えば、そうゆう物らしい。

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