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2011年4月

2011年4月30日 (土)

息子らともソウルに ①

 孫との旅行記を綴ったが、息子らとも韓国に行ったことも記しておこう。 旅は2005年9月でした。

 韓流ドラマへの興味が無かった頃で、まだ会社員。休暇を利用したり、出張だったりで韓国や東南アジアへ出掛けていた。たまたま、長男が仕事で韓国に行く用事が出来、「そしたら親子、男同士で行こうか」になり、日程を調整。長男は成田から、次男は関空、朕は福岡空港からそれぞれ出発、ソウルで合流することになった

Photo 昼間は暇な朕と次男は非武装地帯への観光ツアーに。バスはイムジン江沿いに走った。「イムジン川水清く とうとうと流れ」と口ずさむ(年齢を感じさせるよね)。

Photo_2 Dc112819 南北をつなぐ唯一の橋「平和の橋」や兵士の像などを見ながら板門店へ。休戦会議を催す時、中国側に場所を示すために、会場近くにあった煙草屋を「板門店」と名付けたらしい。ニュースでよく見た会議室。北と連合軍兵士が微動もしない姿勢で観光客を見つめており、やはり緊張する。

2011年4月29日 (金)

孫らとソウルに ④

Img_0036_convert_20110427151637 帰国前に景福宮に立ち寄ると、守門将の交替式が始まる前だった。衛兵たちが行進の準備が終えた時だった。いきなり大音響のサイレンがこだました。火事かなと周囲を見回したが煙は見えない。サイレンは止まないどころか、ソウル中に響き渡っている。

守門将たちも「何事か」と怪訝な様子だったが、いつしかどこかへ消えてしまった。=写真はそそくさと姿を消す守門将=。

 宮の中に放送が始まった。が、言葉は分からない。近くにいた日本人観光客を連れていたツアーガイドに聞いてみた。そのガイドが言うには「ソウルの非常軍事訓練だ」と。考えてみれば、韓国と北朝鮮はいまだに停戦中。戦争は続いている状況だ。改めてというか、初めてというのか「戦争」という現実を、景福宮で体験させられた。

Img_0042_convert_20110425174530 防空や避難訓練があっても当然かも。ソウルは月に1回、訓練日があって市民に時間を知らせずに実施するとか。たまたま景福宮に行った日と時間が訓練にぶち当たった不運。交替式は中止になり、孫たちに見せることが出来なかった。

孫らに話はしたが「戦争」が分からず、キョトンとしていた。今の若い日本人には理解できないだろう。この玉座の前で話し合いをして欲しいが・・・・。

2011年4月27日 (水)

孫らとソウルに ③

Img_0064_convert_20110425175230 3日目は帰国の日。孫らが「どうしても食べたい」と言いだし、朝からケンチャンケジャン店に。けっこう、うまかった。値段もよかったけど。この後、ソウル駅近くのロッテマートに土産買い。娘は友人や近所にと大量買いし、宅配便で送った。日本には2日後には到着したと言ってた。

今回の旅行はJTBでのフリープラン。夏休み企画で子供は旅費半額でした。空港送迎あり、土産屋寄らずだったのも気に入った。2日目はワゴンをチャーター(日本語OKの運転手付き)で約2万円。普通タクシーにも乗車したが、やはり遠回りに引っかかった。途中で気づき、Uターンさせた。何やら文句を言っていたので、メモ帳を出し、運転手の名前や車両番号をメモする振りをしたら黙り込んだ。でも、料金はメーター通り取りやがった。

今年の夏はどこへ。お爺ちゃんはつらいね。

                 (終わり)

孫らとソウルに ②

2日目は明洞の朝粥専門店からスタート。店前には行列が出来ていたが、大半が日本人。娘と同じガイドブックを持った若い女性グループも。味はともかく、腹いっぱいになったから、次の行程・景福宮へ。

_convert_20110425180105_2 折よく衛兵の交替式に出会いました。朕が座る玉座、謁見の間などもしっかり見つめ、あるツアーに紛れ込んで説明を楽しんだのは正解か。その後、博物館へ。

朕は歩き疲れて展示コーナーは飛び飛びに回って、孫たちを置き去りにしてベンチでごろ寝です。

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Img_0043_convert_20110425174855_2  昼食はサムゲタンの有名店に。「有名店にうまい物なし」と言うが、この店は地元の運転手さんも「ここは間違いない」と太鼓判。昼前から行列が出来ていたが、娘が事前に予約していてすぐに食べられた。途中で撮影を思い出したが、すでに残りわずかでこんな写真になってしまった。

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その後、孫らは水族館に。さらに明洞の写真スタジオへ。どうしても韓服を着たいと最初から計画に決めていたらしい。スタッフが着付けや髪を整え準備OK.

ところが店員が「お爺ちゃんも一緒に」と言いだし、ついに、あこがれの殿下姿になってしまった。

      (つづく)

2011年4月26日 (火)

孫らとソウルに ①

         (旅は2010年8月)

朕には外孫2人がいます。いずれも公子で10歳と5歳。可愛い盛りで一緒に旅行するのを楽しみにしています。1昨年の夏休みは沖縄に泳ぎに行きました。さて、今回はじぃじぃの趣味に合わせて、ソウル旅に出掛けた。朕は過去に数回、ソウルに行っているので旅の計画は全て母親の娘が立案。ほとんどがガイドブックからの選択だ。 いざ、福岡空港から4人のソウル旅がスタート。

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ホテルの窓から見えるソウルタワーの鑑賞にふける間もなく行動開始。

Img_0011_convert_20110425180951 さてどこに行くかと思えば「明洞餃子」だ。餃子はまずまずの美味しさだったが、うどんはまったく口に合わなかった。明洞は韓国一の繁華街。若者の人混みで溢れていた。

夜は宮廷料理を食べに「三清閣」へ。小皿の料理がいっぱい並ぶものと思っていたが、何とフランス料理形式で、ひとつ食べ終わると次を持ってくる。さらに伝統料理をフランス料理風にアレンジしており、ちょっと肩すかしを食った感じ。4人で2人分を注文したが、量的にはちょうど良かったね。で1日目が終わった。    

       (続く)

2011年4月25日 (月)

地方代官選び

 24日投開票の地方選挙で、新聞社にいる知人から「手伝って」のアルバイト依頼があった。ある開票場で選管が発表する候補者得票数を、FAXで30分置きに新聞社に送る簡単な作業。以前は1万円だったが今回は6千円の報酬。新聞社も苦しいらしい。夜中のバイトだが、それでも3時間で6千円はおいしい。ちなみにNHKは6700円(作業説明会出席分も含む)と言っていた。経験者の朕は説明会はなし。

 開票場でつらつら考えた。地方都市の首長は地方代官。議員は木端役人というところか。当選した輩の中には「お主も悪じゃのう」の代官、役人もいるだろう。こんな輩のために年貢(税金)を取られる民は悲しい。

 そう言えば、新聞社の報酬は以前、1割の所得税が天引きされたが今回はなかったな。

2011年4月24日 (日)

金首露(キム・スロ)を訪ねて

              (旅は2010年10月)

テレビドラマに誘発されるのが朕の悪い癖。そう言う訳で、今回も現在放送中の「鉄の王・キム・スロ」を追いかけて、生誕の地・金海に行ってきました。

Top_main_2 金海市は釜山から車で1時間ぐらいでしょうか。釜山(金海)国際空港から近い、いかにも地方都市と言った感じでした。

お墓といえば、山の麓が相場?だが、スロの王陵は街中にありました。楼門や祭祀を行う屋敷もある立派な陵です。

Photo_4 スロは、優良な鉄を生産し、それを元に金官伽耶国を打ち立てた偉大な王。金氏の始祖とも言われ、韓国金氏の源。全国に多くの子孫がおり、新羅の伝説の将軍キム・ユシンも直径子孫の一人とか。                          

毎年、子孫が集まり盛大な法要、祭りが営まれていると、王陵施設の日本語案内人が説明してくれた。敷地内にミニ博物館もありますが、市内に国立博物館もあって、スロの偉業を称える展示物がたくさんあった。撮影禁止なので、ここでは紹介できません。

Photo_6スロの妻で、インドの王女だったと言われるホ・ファンオクの陵。こじんまりとした可愛い墓です。ドラマのファンオクのイメージぴったり。  スロの陵から少し離れたところにあります。

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ドラマ「金首露」のロケセットです。訪ねた当時は建設中でしたが、もう完成したのでしょうか。ロケ後はテーマパークになる計画だったらしいが、一部には「完成しないのでは」の声もあり、ちょっと心配。

 とにかく今の韓国は、民俗村やテーマパークが乱立気味ですから、ドラマが放映されるごとに関連施設が誕生するとか。金首露のドラマはあまり視聴率も稼げなかったらしい。

朕からの感謝

コメントを下さった皆さん、有り難うね。

とくに「韓流時代劇どっとこむ」(http://www.hanryu-jidaigeki.com/)のチングたちには感謝しています。勇気をいっぱい戴きました。ゆっくり気長に続けようと思っていますが、ご存じのように、せっかちな性分で、毎日、更新しています。小学生の頃(尋常小学校ではないよ)「日記は三日坊主」と叱られていましたが、このブログは三日以上続きました。書き込むネタが無くなったら、また「殿下の旅」に出掛けて、仕入れてきますね。

あのさん 似顔絵のこと、けっこう似せて作ったつもりです。近々、孫たちの写真も登場しますので、そこで推測してください。

2011年4月23日 (土)

慶州・善徳女王 (2010・12)

ドラマ「善徳女王」が面白くなって、トンマンに会いたくなって再び慶州に出掛けました。(寒かった)Img_0008_2

最初に訪ねたのが善徳女王を助ける忠臣・金庚信(キム・ユシン)の墓。新羅の将軍で、唐と連合して百済、高句麗を滅ぼし朝鮮半島統一に最大の貢献を果たした。妹が新羅の王・金春秋に嫁ぐなど王族との深い関わりをもった。金氏の始祖・金首露(キム・スロ)の子孫。それだけに墓は立派だった。墓の基礎には12枚の干支が彫られた石像がはめ込まれていた。多くの小学生が見物に訪れ、教諭?が、ユシンの功績を話していた(言葉が分からないけど、多分そうだと)

Img_0013_convert_20110423095944 次に訪ねたのが雁鴨池。三国統一の後、宮廷近くに造営された離宮。広い敷地内に東屋が施され宴会が繰り返されたとかで、新羅王朝の全盛を物語っている。あの高句麗王・王建(ワンゴン)も訪れ、もてなしを受けたとか。

Img_0011_convert_20110423110813慶州旅行では誰でもが訪れる天文台・チョム星台。善徳女王が築造させたと伝わる。窓から差し込む光で春分、秋分、夏至、冬至などを正確に測ったという。

周辺には古墳が点々とあり、「古墳がある慶州」ではなく、「古墳の中にある慶州」を印象付けられた。空っ風が吹きすさびとにかく寒かった。ほうほうの体でタクシーに飛び乗った記憶がよみがえった。

2_img_0022_2 最後は今回の大きな目的だった「善徳女王」の墓参り。だが、しかし釜山から同行したタクシーの運転手さんは場所を知らない。それどころか、地元の人も知らない様子。  ガイドブックにも詳細がない。地図を調べて場所らしき地域をぐるぐる回った。道路側の案内板を発見。入って行くと狭い未舗装の農道が・・。「ここじゃないよね」と不安になったが、バラスを敷き詰めた駐車場と、簡易トイレの設置で、ようやくたどり着いた。しかし古墳らしきものが見当たらない。小さな矢印表示を頼りに松林の中を20分ほど歩き、ようやく墓に着いた。

墓は金庚信に比べ、相当に質素。「これが女王の墓か。新羅で最初の女性王なのに」と驚くとともに多少がっかり。王として評価が低かったのだろうか。善徳女王は自分で墓の位置をきめていた、と言うが。そこは宮廷からかなり離れた山里だった。

ドラマ「善徳女王」が放映され、最近になって脚光を浴び、日本からの訪問者も出てきたと言う。だが、観光ツアーでは絶対に行かないだろうなぁ。

慶州(2010・03)

韓国の古都・慶州には、これまでにも数回訪れて懐かしさもあったが、ドラマ「善徳女王」を見始めてから、もう一度行ってみようと。

Img_0724_convert_20110423082242 お馴染み? の仏国寺。新羅時代の建立で、韓国仏教の第一級の国宝で、「ここに来なければ慶州に来た意味がない」と言われるから、再訪した。平日の午後だったためか参拝者は少なかった。春になれば児童・生徒の遠足や修学旅行で賑わうらしい。

Img_0729_convert_20110422141311 仏国寺の多宝塔。大雄殿前の境内には仏国寺の真髄といえる多宝塔(国宝第20号)と釈迦塔・三層宝塔(国宝21号)が向き合って建ち、対照的な美を競う。この塔は永遠なる法身仏の多宝如来と報身仏の釈迦牟尼仏が現世にあれとの願いを象徴しているという。

お寺詣りはここまでにして、今回の慶州行きの目的だった新しいテーマパーク「新羅ミレニアムパーク」へ。

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「善徳女王」のロケセットを活用したテーマパークと聞きました。
広大は敷地のあちこちに宮殿や両班、民家などが建ち並び、新羅時代を再現しています。
数時間おきに戦闘シーンのショーがあります。

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勿論、トンマンやユシンも登場している、はずです。何しろ、観客席の前が湖(海戦があります)で、その向こう側が主戦場になる城の舞台で、観客席から遠くて顔などはまったく見えません。
さらに私は言葉が分かりませんので、雰囲気で「あれがトンマンでは」と感じるだけでした。花郎訓練場でもショーがあるみたいです。ゆっくり2時間はつぶせそうです。

 写真はたくさん撮りましたが、朕の見苦しい顔、姿を晒すことが出来ませんので。あしからず。

2011年4月22日 (金)

晋州 ③

晋州城を見た後、運転手さんは「ここは他に何もないよ」と。

で、昼飯を食って釜山に帰ることに。風が強い1日だったので気がかりなことがあった。明日は帰国する予定だが、博多ー釜山の高速船は大丈夫かと。運転手さんに船会社に電話を入れてもらうと、心配は的中。 「明日は全便欠航になった」と。

仕方なく延泊をする羽目になった。ホテル代はもったいないが、高速船の予約変更は無料で受け付けられたのが、ちょっぴり嬉しかった。   帰途は前日の強風が嘘のような凪。高速船は快調に博多に向かった。

晋州 ②

  晋州城一帯は公園になっており、市民の憩いの場に。広大な敷地で歩くにはきつかった。この楼門はきれい(写真)。また韓国一の華麗さだった楼閣・直石楼(復元もの)もみごとだった。文禄慶長の役で、加藤清正が戦勝の宴を張ったと伝えられている。

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この直石楼の下の川・南江に突き出しているのが<義岩(ウィアム)=写真。義妓、論介(ノンゲ)=写真=の悲話が伝えられています。
 晋州城が陥落した際、宴に駆り出された朱論介(ジュ ノンゲ)が、日本武将の毛谷村六助を泥酔させた上で、この岩の場所まで誘い出し、手が離れないよう、しっかりと指輪で繋いで南江に身を投じたという物語です。
 韓国では広く知られた悲話で、愛国者・義人として教科書の題材にも使われているらしい。

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2011年4月21日 (木)

まずは晋州へ ①

釜山港に着いて、タクシーでホテルへ直行。運転手にホテル名を告げるとOK.外国に来た気がしないのは、顔も同じ?だし、車も似たような物。早速、ホテルに日本語が分かる「模範タクシー」を呼んでもらい釜山博物館へ。歴史関連コーナーを回ったが、ハングルが分からない者は、展示物を見ながら想像をするしかない。ドラマのシーンなどを思い出しながら・・・。

 2日目は、今回の目的地・晋州。ちょうどこの頃に見ていたドラマが「不滅の李舜臣」。何しろ、海の男だから、舞台は海辺。縁の場所は旅行しにくい所ばかり。そんな中で豊臣秀吉率いる日本軍と朝鮮軍の戦いがあったのが晋州。釜山から約2時間ぐらいにある晋州城を目指した。列車やバスに乗れないからタクシーをチャーター。模範タクシーは高いので、ホテルに頼み日本語が出来る普通タクシーを呼んでもらった。1日のチャーター料が2万円。片言の日本語しか出来ないが優しい60前後のおじさんだった。

旅の始まり

なぜ、韓国旅行にはまったのか。定年になって家でぶらぶら、何気なしにテレビを見ていたら、それが「朱蒙(チュモン)」だった。国を建てる壮大なドラマが面白く、日本にはないスケールの大きな作品作りにすっかり魅せられ、韓国時代劇の虜になった。以来、三韓時代、高麗時代、朝鮮時代のドラマを片っ端から見てきた。

 いつしか、見るだけでは飽き足らず「あの歴史の舞台を見てみたい」との思いが募り、旅が始まった。

韓国語もしゃべれず、ハングルの読み書きもできない者の、無謀な旅と分かっていたが、「行ってみたい」の思いが強まり、ビートル(福岡ー釜山の高速船)に飛び乗ったのは、2009年11月だった。

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